動画再生 景道とは わが国には古くから「道(どう)」と呼ばれる固有の文化が継承されてきました。茶道は“点(た)てる”、華道は“活ける”、香道は“聞く”と云われ、その作法と礼法は日本文化の礎となっています。景道は“飾(かざる)”ことで日本人の感性を伝えるものです。「遊間技法」と呼んでいます。日本人にとって“間(ま)”とは不思議な響きをもつ言葉です。文字通り“間(あいだ)”を意味するばかりでなく「リズム」、「時間」、「空間」、「距離」あるいは「余白」をもあらわすこともあります。例えば身近な例では話し方(話術)にも“間(ま)”は日常的に広く存在するものです。しかもなくてはならないものです。美術工芸はもちろんのこと、芸術、芸能全般に亘っていわゆる“間(ま)”は永遠のテーマといえます。 当流に於ても“間(ま)”を第一義とする理由がここにあります。“飾り”では単に数多く並びたてることを厳しく戒め、鷹揚な佇たたずまいを求め、遊間(※)に「過去・現在・未来」「宇宙・地球・大自然」を想起しその奥深さを味わうものです。具体的には床の間という“神聖な場”を借用して盆栽・水石・山野草・諸道具を用いて自然や四季を身近に飾り、その自然の摂理を理解しつつ、心のやすらぎを享受せんとするものです。その作法・礼法を「遊間技法」と呼んでいます。そして、従来屋外に飾られていた自然物を室内に持ち込むとなると、それなりの覚悟が必要です。清潔を第一義に新しく飾りの作法・礼法・常法を理論的に確立し「景道」と名づけました。※遊間:主飾りを中心に横幅(間口)、奥行、高低全体で構成され、“余白”が生みだされます。余白のバランスも大きな楽しみの一つです。 「景道」とは盆栽・水石・山野草を室内の限定された空間を生かし、小自然と大自然を連携させ、時に一個の小自然により宇宙がなにものなのかを連想させるがごとき、具現の醍醐味に接するとこに大きな魅力が存在いたします。自然や四季の変化を身近に飾って自然の摂理をより深く理解ることで感受性豊かな人格の形成に資する道が「景道」(片山流)です。 景道片山流 床の間は、室町時代の押し板を起源としていますが、江戸時代には掛け軸、刀剣、論語をしつらえ、武士道、の魂の在所として崇められてきました。それが時代とともに、特に戦後は床の間を聖なる場所と考える日本人はほとんどいなくなりました。父、片山一雨は、「床の間を聖なる場所」と考え、刀剣に代えて、日本人が本来有する自然を愛する心の在所として床の間の復活を考えました。従来、盆栽、水石、山野草は、屋外の棚で育成されていましたが、父はそれを屋内の聖なる場所に飾ることとし、清潔を第一義に、景趣、景観、品格、雅味はもとより、侘び寂をも感じられる床飾りを追求しようとしました。飾りの作法、礼法、間のとり方などを論理的に完成させ、それを「景道」と名付けたのです。 陳列作法 心得(抜粋) 出陳品とその飾り方を見ればその人柄が理解できるといわれているくらい、陳列はきびしいものである。 飾る前の入念の手入れはもちろん、塵一つ残さぬこと。 樹と樹鉢との調和は絶対つけておくこと。 飾り棚その他いっさいのものは空拭きの上、ときには植物油等で拭き上げておくこと。これは棚上などで鉢をずらすような不始末があった場合でも比較的傷跡がつかない。 飾り棚上に出陳品を置く場合、必ず上から静かに下ろすようにし、けっしてその場でずらすようなことはせぬこと。棚上のものの位置替えのときも同じ。また、展覧会などが終り出陳品を下げるときの動作もまた同じ。 棚飾り等において主飾りのほか各副飾りを添えるに際し、各段ぎっしり全部飾りつめて、主飾り、副飾りの判別に苦しむようなことはせぬこと。すなわち主飾りとして格のある力強いものを一、二点とし余白美を念頭に入れつつ、さらに軽いものをあしらい、これで飾りを充分引き立てるようにすること。