はじめに

我々日本人は、幸せなことに「山紫水明」の地に生まれ育ちました。美しい「山水草木」に囲まれた豊かな大地で生きることの喜びと感動を享受してきました。自然の摂理や叡智に知らぬ間に触れ、万物に対する優しさや愛情、心くばり、いつくしむ心が育まれ、何世代にもわたって受け継がれてきました。やがて、私たちのDNAには人間だけが持つ独自の感受性や感性が取り込まれ組み込まれています。時代が変わり、江戸時代になると、町中で草花や植木が売られるようになりました。こうした流れを受けて、日本独自の盆栽や山野草、水石の愛好趣味が成立し、広く普及するようになりました。このような変遷が、まさにDNAの影響なのかもしれません。背景には盆栽や山野草の培養技術が大幅に進歩したことと、愛好者の美意識や審美眼の向上が大きな要因として挙げられます。ただし、盆栽や山野草、水石は長い間、屋外の盆栽棚に置かれて培養や鑑賞がされてきました。

お知らせ

2023年ホームページを公開予定です。

景道とは


わが国には古くから「道(どう)」と呼ばれる固有の文化が継承されてきました。茶道は“点(た)てる”、華道は“活ける”、香道は“聞く”と云われ、その作法と礼法は日本文化の礎となっています。景道は“飾(かざる)”ことで日本人の感性を伝えるものです。
従来屋外に飾られていた自然物を室内に持ち込むとなると、それなりの覚悟が必要です。清潔を第一義に新しく飾りの作法・礼法・常法を理論的に確立し「景道」と名づけました。
「景道」とは盆栽・水石・山野草を室内の限定された空間を生かし、小自然と大自然を連携させ、時に一個の小自然により宇宙がなにものなのかを連想させるがごとき、具現の醍醐味に接するとこに大きな魅力が存在いたします。自然や四季の変化を身近に飾って自然の摂理をより深く理解ることで感受性豊かな人格の形成に資する道が景道です。

景道片山流


床の間は、室町時代の押し板を起源としていますが、江戸時代には掛け軸、刀剣、論語をしつらえ、武士道、の魂の在所として崇められてきました。それが時代とともに、特に戦後は床の間を聖なる場所と考える日本人はほとんどいなくなりました。
父、片山一雨は、「床の間を聖なる場所」と考え、刀剣に代えて、日本人が本来有する自然を愛する心の在所として床の間の復活を考えました。

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